ここで、iは私の精子を売ることができる
ハーバード白熱教室 第5回 「お金で買えるもの 買えないもの」 Lecture 10 母性売り出し中
ハーバード白熱教室 第5回 「お金で買えるもの 買えないもの」 Lecture 10 母性売り出し中
人間の生殖における市場の役割、つまり、卵子や精子は、金のために売買されるべきかどうかを考える。1980年代におこった代理母の「ベビーM訴訟」を例に、激論が交わされる。営利目的に代理母になった女性の「同意」は有効かどうか・・・?このケースで裁判所は、文明社会には金では買えないものがある、という決断を下した。市場原理を際限なく広げていくとどんな社会が生まれるのか。サンデル教授は、ある種のものは、利用できなくても価値があり、単なる利用よりも崇高な方法で適切に評価されるべきだという結論に導く。
NHK ハーバード白熱教室
不妊治療ビジネス
ここからの講義で考えてもらい意見を聞いてみたいのは、人間の生殖、つまり妊娠出産の領域における市場の役割だ。
最近では不妊治療クリニックで、卵子提供者を募集している。ハーバード大学の学生新聞で、ハーバードクリムゾンにも卵子提供者を募る広告が載っている。
ただし卵子をくれる人なら誰でもよいわけではない。
卵子提供の市場
2,3年前の広告を紹介しよう。
この広告は巨額の金銭的報酬を提示して卵子提供者を募集した。
- 卵子提供者の条件
- 知的
- 運動神経が良い
- 身長175センチ以上
- SATスコア1400以上
この広告を出した人物は条件を満たす女性の卵子にいくら払うつもりだったと思う?
1000ドル?1万5000ドル?
…報酬は5万ドル
卵子一個の値段だよ、ただしプレミアムな卵子だけどね。
精子提供の市場
大学新聞には精子提供者を求める広告も載っている。
だから生殖医療における市場は男女の機会均等の市場と言える。
…正確には機会均等とは言えないな。卵子と違って精子には5万ドルの値段はつかない。
それでも精子を売る会社がある。大きな精子バンクだ。
その会社はカリフォルニアにあるれっきとした営利企業だ。
この会社の精子採用基準は非常に厳しい。
ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の間に支店が一つ、スタンフォード大学の近くに支店がひとつある(笑)
この精子バンクの宣伝資料には精子の出所が一流であることが強調されている。精子バンクのウェブサイトに載っていたものだ。
報酬についてこう書かれている。
精子提供者になる唯一の理由が報酬であるべきではないとはいえ
提供するにはそれなりの時間と費用がかかることは確かです
(爆笑)
報酬はいくらだと思う?
精子提供者は一回につき75ドルをもらえる。週三回提供すれば月に900ドル。
宣伝には定期的にプレゼントも差し上げておりますとある(笑)
映画のチケットやギフト券ですが、提供者の皆さんが費やしてくださった時間と労力に対するお礼です
精子提供になるのは簡単ではない。
採用されるのは応募者の5%以下だ。この精子バンクの採用基準はハーバードよりずっと厳しい(笑)
ここの社長はこう述べている。
理想的な精子提供者は、身長180センチ、大卒、茶色の目、金髪、えくぼがあること
理由は単純で、顧客が望んでいる特徴だからだ。
"顧客の皆様が高校中退の精子を望むのであれば、高校中退者の精子を提供します"
卵子や精子は、金のために売買されるべきか
では、二つの市場、卵子提供の市場と精子提供の市場について考えてみよう。
一つ問題を提起しよう。
卵子や精子は、金のために売買されるべきか、あるいはされるべきでははないかという問題だ。
それについて考えつつ、別のケースも考えていこう。
市場と人間の生殖、人間の生殖能力に絡む契約についてだ。
ベビーM訴訟
このケースは営利目的の代理母のケースだ。
何年も前に訴訟に持ち込まれたケースで、ベビーM訴訟と呼ばれている。
夫ウイリアム・スターンと妻のエリザベスは、共働きの夫婦で子供を望んでいた
しかし二人の間に子供をもつことは、妻が医学的な危険を侵さずしては不可能だった
そこで夫妻は不妊治療クリニックを訪れ、メリーベスホワイトヘッドと出会う
彼女は29歳の二児の母で、清掃作業員の妻であった
彼女は代理母を募集する広告を見て応募してきた
彼らは取引をした
彼らが結んだ契約では、夫のウイリアムスターンが代理の母となるメリーベスに1万ドル+全経費を支払うことに同意し、
メリーベスはウイリアムスターンの精子で人工授精を受け子供を産み、出産後はスターン夫妻に子供を引き渡すことに同意していた
出産後メリーベスは気が変わり、子供を手放したくなくなった
この事件は結局、ニュージャージー州の法廷に持ち込まれた
法律的な問題は脇においておき、この事件を道徳的な問題として考えてみよう。
契約を守り、契約どおりに履行することが正しいと考える人は?…多数
契約どおりに履行しない方が正しいと考える人は?…少数
- 多数派の意見 何故契約履行を支持するのか、何故履行するべきだと思うか
パトリック:
この契約には拘束力がある
関係者は全員行動する前に契約の条件を知っていたし、これは自発的な同意だ
代理母は自分が何をするのかわかっていたし四人とも知性のある大人だ
事前に自分がしようとしていることが何かを知っていて、契約をしたのだから
その約束を最後まで守るのが当然だ
教授:
取引は取引だ
これが多数が契約を守ることを支持する理由だ
- 少数派 契約を守らなくていい人の意見
関係者は全ての情報を知らされていなかった
エヴァン:
確かに契約を守るべきだ
ただし関係者全員がすべての情報を知っている時に限って
でもこの場合、子どもが実際に生まれるまでは、母親が子供に対してどう感じるか知る方法がない
だから母親が全ての情報を知っていたことにはならない
生まれてくる子はわからず、その子をどんなに愛することになるかはわからなかった
教授:
契約が結ばれたとき、代理母は子供に対して自分がどのように感じるか知りようがなかった
だから契約履行の強制を支持しないという
代理母は契約を結んだとき、必要な情報をすべて知っていなかったからだ
母子の絆
アナ:
一般的に契約は守られるべきだが、子供は実の母親に対して"不可譲の権利"を持っていると思う
母親が望めば子供を母親から引き離すことは出来ない
教授:
擁護ではなく生物学上の母親が、ということだね
それは何故?
アナ:
自然によって作られた絆は、契約によって作られたどんな絆より強いと思うから
教授:
結構。他に
自発的同意の前に母子の絆は関係ない
仕事の認識は何ですかキャスリーン:
私は反対だ
子が生物上の母親に対し不可譲の権利をもっているとは思わない
養子や代理母は合法的な取引だ
それにこれは、個人が自発的に同意したことだから何処にも強制の要素はない
教授:
このケースでは強制を理由とした反論は成り立たないと
エヴァンの意見に対してはどう思う?
エヴァンは同意の際に強制はなかったが、適切な情報が欠けていたと主張した
代理母は子どもが生まれたらどう感じるか事前に知りようがなかった
これについては?
キャスリーン:
代理母の気持ちはここでは関係ないと思う
法律的には彼女の気持ちの変化は何の関係もない
私が自分の子供を養子に出したとして、あとからやはり子供を取り返したいと思ってもそれはだめだ
そもそも代理母自身が決めた取引だから
幼児売買
アンドル:
子が母親に不可譲の権利をもつのかわからないが
母親が子に権利を持つと思う
また、市場の論理によって仕切るべきではない領域があると思う
代理母と言うのは、人間を取り扱う領域でありながら、非人間的に感じられる
正しいことだとは思わない
これが反対の主な理由だ
教授:
この種の契約を結ぶのは自由だが、裁判所によって強制執行されるべきではないと
アンドル:
誰かの生物学上の権利を買っているからだ
法律で述べられているように自分の子を売ることは出来ない
自分で産んだ子でも、その子を他人に売ったり、奴隷として売り払うことは法律で禁じられているはずだ
教授:
ではこれは幼児売買だと
アンドル:
はい、ある程度までは
他人と契約を結び、同意したとしても、母親と子供の間に否定できない絆がある
契約したからと言って、それを無視するのは間違いだ
キャスリーン:
否定できない絆というが、ここで養子縁組や代理母に反対する必要はないのではないか
ここでは、感情的な変化を指摘しているだけだ
アンドル:
全てを数字で表したり、車を売り買いするように契約だからで片付けるのは簡単だが
気持ちを無視するのは違う、人間だから
人間は売り買いの対象ではない
教授:
幼児売買だというアンドルの意見については?
キャスリーン:
私は養子縁組や代理母は認められるべきだと思う
自分がそうするかかかわりなく、政府は国民に養子縁組したり代理母になる権利を認めるべきだ
教授:
しかし養子縁組はだね…、
キャスリーン:
養子縁組は幼児売買ですか?
教授:
そうだね、君は養子をもらうとき、その子に値段をつけられるか?
アンドルの意見はそういうことだ
キャスリーン:
赤ちゃんに値段をつけられるか?いいえ私は…もちろんYESです!(笑)
それは市場の問題だ
勿論適用される程度によるが、政府がそれを許可するべきかはもっとよく考えないとわからない
教授:
けっこう
納得した?アンドル
アンドル:
はい
代理母は認められてもいいし、なってもいいと思う
でも一度契約したからと言って、それを盾に契約履行を強制するのは間違っている
この種の契約を結ぶのは自由だが、裁判所によって強制執行されるべきではない
あなたが購入することができますビビアン:
特殊な立場から意見をいわせてほしい
兄は精子バンクに提供して、大金をもらっていた
身長は180センチ、ブロンドではないがえくぼはあった
私は今ではおばだ
兄に娘が生まれたから
兄はオクラホマのレズビアンのカップルに精子を提供し、二人から連絡をもらい、娘の写真をみている
でも兄は娘に絆を感じてはいない
関心はあるようだ、どんな容姿なのか、何をしているのか、元気なのかとか
でも愛情は感じていない
だから母と子の間の絆は、父と子の間の絆とは比べられない
教授:
実に面白い
今回は営利目的の代理母のケースを見てきた
私たちはそれを幼児売買と比較し、そのたとえが適切かどうか検討してきたが
君が指摘したように、精子販売と比較することも出来る
だが君は、精子を売るのと、赤ん坊を売ること、あるいは代理母になることは全く違うと言う
それは絆が違うから?
ビビアン:
はい
母親が妊娠に費やす時間は10ヶ月だが
男性は精子バンクによって、ポルノを見ながら…紙コップに入れるだけだから全然違う
教授:
けっこう(苦笑)
ビビアン:
それが精子バンクの実情だから…(苦笑)
代理母に契約の履行を強制することへの反対理由には、少なくとも2種類ある
- 代理母契約 強制への反対理由
- 同意に瑕疵(かし)があった
- 非人間的
まずは同意に瑕疵(かし)があったという反対意見。
ただし今回は、強制もしくは暗黙の強制が原因ではなく、情報が完全では無かったり不備があったことが原因で瑕疵が生じている。故に瑕疵のある同意は、強制によっても情報の欠如によっても、起こり得る。少なくとも今日の議論ではそう主張された。
二つ目の反対意見はそれが非人間的だからという理由だ。
この訴訟に裁判所が判決を下したとき何と言ったか。
まず下級裁判所は、"この契約には法的強制力がある"とした。
サービスの価格は交渉によって合意に至っている。一方が他方を強制したわけではない。
交渉力に関しても、どちらか一方に偏っていたわけではない。
訴訟はニュージャージー州の最高裁判所に持ち込まれた。
最高裁の判決は"この契約に法的強制力はない"
裁判所は父親としての養育権をスターンに認めた。それが子供にとって最善だと考えたからだ。
しかしメリーベスの権利を保全し、子供との面会権が具体的にどうあるべきかは下級裁判所の判断に委ねた。
裁判所があげた二つの理由はアンドルの意見とほぼ同じだ。
- インフォームド・コンセント、正しい情報を得た上での同意がなかった
母親は子供との絆の強さを知る前に変更不可な約束をさせられている
彼女は完全な情報を与えられた上で決断したのではない
何故なら赤ん坊が生まれる前にはもっとも重要な意味において情報は与えられていないからである- これは子供を売るのと同じである
少なくとも母親の子供に対する権利を売るのと同じである
参加者の動機となったものが、どのような理想主義であれ
利益をえるという動機が優位となり最終的にはこの取引を支配している
つまり、同意があろうが、同意に瑕疵があろうが、情報が充分であっただろうが、そういうこととは関係なく、文明社会には金では買えないものがある。
裁判所はそう述べて契約を無効にしたわけだ。
同意が真に自由にならないケース
では、出産と生殖領域への市場拡大に反対する、これら2つの意見について考えてみよう。
どの程度まで説得力があるだろうか。
ウイリアム・スターンとメリーベスの間に、自発的な合意があり、契約を結ばれたのは確かだ。
しかしその同意が、真に自由にならない場合が二つある。
- 合意するよう強制されたり圧力をかけられたりした場合
- 十分な情報を与えられていなかった場合
裁判所はたとえ既に実の子を産んだ経験のある母親であっても、金のために子供を出産して手放すのがどのようなことなのか知り得ることは出来ないとした。
1つ目の反対意見を評価するには、交渉力とか平等な情報をどれぐらい自由に、自発的に取り交わすべきなのか、考えていかねばならない。
これが第一の問題だ。
2つ目の反対意見はどうやって評価していけばいいのか。
2つ目の反対意見はより捉え所がなくより難解だ。
アンドルもそう言ってた「出産を市場での取引にするのは、非人間的な感じがする」というのは、どういう意味だろうか?
ある種のものは単なる利用よりも、崇高な方法で適切に評価される
今回のテーマについて哲学者の一人エリザベス・アンダーソンは、アンドルが表現した不安に対し哲学的な明快さをもたらそうと試みている
親として子に感じる愛情がどんなものであれ、それを抑圧するよう代理母に求めれば出産を譲渡出来る労働に変えてしまう
何故なら出産を妊娠に対する社会の慣行が正しく奨励している目的、すなわち子供との情緒的な絆から切り離してしまうからだ
アンダーソンが示唆しているのは、ある種のものはオープンに利用したり、そこから利益を得たりするべきではないということだ。
ある種のものは利用できなくても価値がある。自由に利用できないものを、どう評価しどう扱ったら良いのか。
アンダーソンによれば方法はたくさんある。尊敬・感謝・愛・名誉・畏敬・尊厳などだ。
利用という価値以外にも評価の方法は沢山あるし、ある種のものは、単に利用の対象とすると適切に評価できないのだ。
アンダーソンのこの主張をどう評価するか。ある意味それは功利主義についての議論を思い出させる。
利用や効用だけが、命や兵役、生殖出産を取り扱うのに、唯一の適切な方法なのだろうか?
もしそうでないなら、これらのものを評価するのに適切な方法、どうやって考えだしていけばいいのだろうか?
何年か前、バージニア州の不妊治療の専門医セシル・ジェイコブソンが引き起こしたスキャンダルがあった。
彼は外部からの精子の提供を受けず、患者には内緒で、ただ一人の精子提供者の精子を、全患者への受精に使った。
それはジェイコブソン医師自身のものだった。少なくとも法廷で証言した一人の女性は"生まれた娘が医師によく似ているのでぎょっとした"と述べている(笑)
ジェイコブソン医師が、女性たちに事前の説明をしなかったことを非難するのは可能だ。それは同意に関する議論になるだろう。
コラムニストのエレン・グッドマンは、この事件について次のように書いた。
"ジェイコブソン医師は、不妊治療ビジネスに、個人的な味付けを加えた。しかし私たちは、精子提供について再検討するようになってきている"
コラムニストは"父性とは貴方が何をするかであって、何を提供するかではない"と結論づけた。
コラムニストグッドマンや哲学者アンダーソンが言ったこと、そしてここにいるアンドルが"非人間的"と表現したこと、それらは金で買ってはならないものがあるのではないかという疑問を提示している。
単に同意に瑕疵があったからだけでなく、ある種のものは単なる利用よりも、崇高な方法で適切に評価されるべきだからだ。
これらの疑問については今後の講義で哲学者達の助けを借りて検討していくことにしよう
解説
リバタリアニズムを批判する文脈で、今回は生殖における市場の役割についての議論が展開された
商業精子銀行やベビーM訴訟といった、非常に興味深い例が取り上げられていた
訴訟において結論としては、同意の瑕疵、母子の絆について事前にわからなかったのだから
情報が不十分だから契約どおりにさせるわけにはいかないという答えとなっていた
サンデルは01年から生命倫理における大統領の諮問委員会の委員として様々な議論をしてきた
そういった議論を踏まえて、遺伝子操作の時代の倫理として"The Case against Perfection"を書いた
サンデルは生命・生殖に関わる問題を市場で考えていいのか問題提起をした
生命の尊厳や母子の絆、それらは金だけで考えることは出来ないのではないか、市場の限界がそこにあるのではないかと問題提起している
0 コメント:
コメントを投稿